別にオシャレとか流行りだからだとか
そういうのではない。
ただただレトロとは落ち着くものだなあと
つくづく実感するものである。
レトロとの出会いはかなり曖昧なもの。
自分のほうから追い求めるような
積極的なアプローチはいっさいなかったのだけど
自ずとそういうものに吸い寄せられていった感じ。
元来、僕は感覚的な人間。
いい加減だということで叩かれる要因にも
しばしばなるが、でも見方を返れば
それだけ直感で良いものは良い、
悪いものは悪い、と見抜く性格と言える。
とある理由から
店を改装することになったのだが
いかんせん先立つカネがない。
でもそこは変に肩ひじ張らない。
ないものはないので
まずはやってみることから始める。
そうすると部屋の造りが段々、
廃品廃材で塗り固められてった。
するとア〜ラ不思議
レトロな佇まいの出来上がり。
おっとこりゃ予想以上にオシャレ。
せっかくだからレイアウトを木調に統一して
メインカラーを焦げ茶にして
どんどんレトロっぽく仕上げてみよう。
と、こんなのがレトロとの出会い。
はじめはノリからはじめた改装だったが
日に日にレトロさを増していくうち
ボクはあることに気付く。
ああ、なるほど
レトロとは実に落ち着くものだなあ、と。
近未来的な場に居るとどうにも居心地が悪い。
まさに異空間というか、浮き世離れしていて
現実のものと受け入れ難いのだ。
ごくたまにエキゾチックな気分が味わいたくて
南国へ飛ぶように、
トリップ感を楽しむ一時的な快楽として
近未来的な建築に足を踏み入れるのはアリだと思うが、
普段から住む空間まで、そうするのは
あまりに現実逃避で危険な行為だと思う。
たしかに現実はツマラン。
そりゃトリップしてる空想世界のほうが
よっぽど気持が良かろう。
でもそれだけじゃ何か違う気がする。
地に足が着いていないからだろう。
理想を思い描くのは個人の勝手だし
好きに非現実へ逃避したらいい。
でもすればするほど
現実に引き戻される時のギャップは大きい。
どんどん現実イヤんなる。
いいのかそれで、と問いたい。
その点、レトロはいい。
オシャレだとか流行りだとかそういうのは抜きにして
ただただ冷静沈着に考えてみてほしい。
なぜそんなにいいのか。
それは「リアル」だからだ。
この世のわびさびが凝縮して在る。
字は違えども「錆」、これもだ。
未来的なものは錆が生じた時点でもう
未来的でなくなってしまう。
一気に現実に引き戻されるからだ。
(最近ではそれを敢えて逆手にとって
荒廃した未来を描く作風も増えた)
だがレトロは錆が生ずれば生ずるほど
レトロ感を増す。そしてどんどんリアルにも。
しかしそのリアルさは決して辛いものではない。
よく「懐かしい」と例えられるがそう、ほんの少し昔の匂いがする。
ではそれこそ過去に逃避しているのであり
同じく現実逃避ではないかとの批判もあろう。
どっこいそうじゃない。
ではお尋ねするが、「リアル」とはいったい何か。
今(らしい)ことはいったいどこに在るというのか。
今、こうして僕らが感覚全体で捉えている世界。
本当に感じているものは、
今と思いながら実はほんの少し過去なのだという気がする。
捉えてから自分の脳で感じるまでの間、
一瞬ズレるのだ。
だから厳密に言えば、今なんてものはない。
またこうも言える。
過去はたしかに在ったが
未来は在るかどうか定かではない。
在った安心感。無いかもしれない不安感。
ほんの少し昔、あるいはそう感じさせる大昔。
それこそ実は本当の「リアル」、
つまり「レトロ」が一番今らしいって結論になる。
「レトロフューチャ−」うまいこと言う。
できればこれからの人類、「レトロ」だけで未来を築き上げていってほしい、
切にそう願う。
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